190615

猫についてよく話す

 

膝で丸くなって寝ていたけど、夫がシールドを繋いだり交換したりしていたら首をヒョイっと向けて見ている。

 

「ぽんちゃんが見てくれよるよ」

と言ったら、

「ぽんちゃんは優しいねぇ、見とってくれるんやね」

と夫。

「しかもかわいい」

と私が付け加えると、

「本当にそれよ。素晴らしいね」

という会話をした。

 

うちの猫は素晴らしいのだ。

それだけ。

190531

不思議に思うことがある

 

私の1時間と周りの1時間は本当におなじなのか。

 

ふと画面から目を離して手に取った小ぶりのものに指をやると

ぱっと画面が明るくなりよく知らない人たちが各々好きに何かを話している。

 

ええっと、これはいったいどういうことだろうか、と

読み進めているといつの間にかもうすぐ夕方になるのだから。

 

そうこうしている間に、やはり今日一日何をしていたんだと問われることになるので、

何かちゃんとしていたんだよと主張できるように慌てて

何件か電話を掛けたりする。

 

運がいいことにじゃあ話を聞きましょう、なんて言ってくれるから

私は気をよくしてそれを報告すると

よくやった、さすがだね。がんばっているね。といってくれるもんだから

そうだっけ。そうだったのかな。と少しの後ろめたさを上書きして胸を張る。

 

そんなことを繰り返していると1週間なんてアッ!という間で

たのしいたのしい土日が来るのだ。

少しだけ頑張れば土日が来て、それを4回繰り返すとお金が振り込まれる。

何か聞かれたら、ええっとこれはこうでして、ともっともらしいことをすらすらと述べて私はなんとかそれらしい形を保っている。

 

でもうちの猫はすべてを見ているので、何やってんだか、と冷めた目でみている。

時々飯はまだか、ここに変な虫がいるぞ、などと教えてくれるが、

私は形を保たなければならないので夜になるまで待ってくれと伝える。

 

わたしがこうして何とかやっているから君はご飯をたべられるんだ、

と伝えたところで聞いているんだかわからない顔してニャーとなく。

 

そうこうしているとまた朝が来て私はここに座ってなんとか形を作ろうとしつつ、

またよく知らない人たちの言っていることにへーとかほーとかうーむとか言いながら相槌をうつのだ。

 

 

181211

夫の働き方のこと

 

自分の新しい仕事のこと

 

今の二人の生活

 

これからの二人の生活

 

お金

 

時間

 

仕事

 

目標も定まってなくて目的もなくて

 

自分の能力のなさと怠慢にうんざりして

 

会社にいいように?使われてるように見えるから、夫の会社にブチ切れて、それに問題を覚えていない夫に腹が立って。

 

すぐに噛み付く昔の自分に戻りかけてた。

 

今、現在、特別悪いことが起きてるわけではないのに絶望的になっていた。

これから楽しみがあって遠征に向かう道中なのに全然気持ちが晴れず、高速バスではモヤモヤが晴れず。

 

ふと聞いた曲に、歌詞に、あれ?ってなって、よくよく聞き直して、うるっと来てしまった。

 

また林檎ちゃんに救われた。

 

ここ最近ずっと、林檎ちゃんは幸せになることは何かをあきらめることではない、幸せを手に入れたいと願うことは悪いことじゃない、そして多分今あなたは幸せなんだよって繰り返し歌っている言葉がやっと腑に落ちたって感じ。(もちろんこんなアホみたいなメッセージに受け取ってるのは私の知能故だけど)

 

ありがとう!

 

お金よりも頓知よね。

 

ああ、これはわたしに歌ってくれてるんだって。やっぱりそうなんだ!って思い出した。

彼女はずっと昔から私に歌ってくれてたんだった。

 

 

 

181203

採用されなかった会社に別の枠で採用されて今に至る。

入ってまだ数日だけど、ほんの少し成果が出せてちょっとしたことで褒められている。

 

最近の私は、お風呂に入ることがとても億劫でこれがいわゆるセルフネグレクトってやつなのかなぁと感じながらも、ほんとにやばいなと思うまで数日入らないこともある。

 

その話をチラリと母と姉にしたところ、それはうつの始まりなんじゃないかと言われて少し恐怖しているところ。

母と姉は1週間ほど前に家にやってきた。

 

自分たちの住んでいる家に2人が来たのは初めてで、いろんなところを見て回って小さい町なので大体みんな顔見知りで挨拶を交わしながら動いていたところ、なんか大変そうだねと言われた。

確かに今までの私だったらそんなことうっとうしくてやってられないと感じていたと思うけど、この町に住む以上はそうしていないとやっていけない。

そういった日常の細々したことを昔と違うことをやっているからもしかしたらお風呂に入るパワーもなくなっているのかもしれないと感じた。

 

夫に、母からお風呂入らないのうつ病の始まりだよって言われたカウンセリング行ったほうがいいのかなと考えたりもするんだってと伝えたら、予想以上に心配されとても動揺していた。

うつ病みたいになったのは自分にも責任があるんじゃないか、原因があると感じていると言われた。そんなにしんどいの、そんなにやばいのととても動揺している様子だった。

私としてはそこまでやばいと思っていなくてただ、今より少しでも楽になるんだったら病院に行ってもいいかなぁと言うような軽い気持ちで病院に行こうかなって言っただけなんだけど、夫からしてみたら精神病院的なところに行くのは本当に一大事といった様子で少し隔たりを感じた。

 

明日から5日間ほど夫は出張に出かける。

私は、在宅の仕事を始めて約2週間目。

家から1歩も出ない生活と言うのは、自分の精神状態にどのような影響があるか道であ

私は、在宅の仕事を始めて約2週間目。

家から1歩も出ない生活と言うのは、自分の精神状態にどのような影響があるか全然わからない。予想がつかない。

 

もしも、どちらかと言うとおしゃべりが好きな私がふさぎ込んでしまったら元は今の仕事というか新しく始めた仕事があってないんじゃないかと言うだろう。

 

しかし、仕事とか環境とかと言うよりは自分の中の問題なんではないかと私は考えている。

 

そうなってくるとやっぱり、病院に行ったり、カウンセリングに行ったり、何かしら今の自分を変える必要があると考えるのは自然なことで、状況を良くするためには必要なことな気がする。

 

ただ、病院やカウンセリングに行くにもいろいろ調べたり、時間にあわせてかけたり、それなりに労力がいるわけで今の私にそれができるかどうかはちょっと不明。

 

そうこうしているうちに、昨日生理が来て、こういった気分の浮き沈みも、pmsのせいなのではないかとも思えてきて、私が行くべきなのはカウンセリングではなく婦人科に行ったほうがいいのかとかまた混乱し始めた。

 

みんなどうやって日々を活力を持って過ごしているんだろう。何でもないことにとても時間がかかったり、やらなきゃいけないことがあるのに先延ばしして永遠とTwitterを見続けたり、でも何とか人間としての生活を保つために最低限の努力をしたり、漠然と今の状況があまり良くないというのは確かだ。

 

 

180926

転職しようかなと思ってちょうどいい会社を知ったので行き当たりばったりで応募したけど不採用だった。

 

私は自分が手が届かそうな事は今までしたことがなかったから、大きな失敗というのもないのでほぼ初めての不採用通知だった。

 

一瞬すごい絶望感に襲われたけどすぐに落ちてもしょうがない行動しかしてないなと腑に落ちた。

 

考えてみたらその会社に本当に入りたいのなら、もっと努力の方法があった。にもかかわらず、これといって努力を全くしなかった。

 

例えばその企業が生業にしている業界について調べてみる、会社の人が出してる本を読んでみる、自分がどれだけ会社で活躍できるか役員たちが想像しやすいように話をまとめておく、アピールをきちんとする、等々。

私がやった事といえば、WEBテストのためにちょっと久しぶりに計算問題を1週間ほどがんばったが、後は提出する書類を記入して、人事担当からの質問にしどろもどろに答え、私頑張るよと特に具体的なエピソードもなく伝えただけ。

やる気がないと取られてもしょうがないし、もし逆の立場で同じことされたら、なんかこいつうちの会社なめてない?と感じる。

 

改めて、転職活動(といっても1社しか受けてない けど)を通じて自分の人生の目標だとか、どういう風に暮らしていきたいかとか、なんも考えてないんだな〜とわかった。それを考えず向き合おうともせず、日々横になってツイッターをダラダラ眺めて、社会で起こるさまざまな問題に憤慨したり心を痛めたりして、でも特に何も考えず過ごしていただけだった。

 

「いつかわたしの気づいていないわたしのすごいところを、まだ見ぬすごい人が気づいて引き出してくれて、特に努力もせずなんかすごい人にわたしなってた!」

という幼い頃の妄想に取り憑かれたままだった自分に気づいた。

 

情け無いし特になにも才能がない上に特に努力しようともしない自分、現状はこの私で生きていくしかないんだな

 

あとは何ができるかって努力するしか道はないんだな。

 

杜撰な日々の過ごし方を少しづつでも手をかけてよくしていくしかないんだよな。

 

そういう当然のことがやっとわかった今週。

 

とても幼稚な自分、がんばれよ。

 

 

 

180308

今日は友達の誕生日だ。

誕生日を覚えている唯一の友達の誕生日。

まあその話は今は良い。

 

最近食欲がとどまるところを知らない。

なんかいくらでも食べられる気分だ。

 

でも家にある食材は限られていて、

こないだの鍋の残りの野菜が申し訳程度にある。

 

パン屋で働いているのだけど、小さいメロンパンを5個くらい平気で食べられてしまう。小さいとはいえあんまりほめられることではないと思う。

 

昨日は、売れ残ったあずきベーグルとくるみとレーズンがはいったカンパーニュをもぐもぐと食べていて、キャンベルのクラムチャウダー缶(カルディで安売りしていた)が目に入ったので牛乳を入れてがぶがぶのんでいた。

 

最初に分量通り作ったら、意外と薄味に感じたので塩をひとつまみいれた。

満足いく好みの味になったのでマグカップにうつして飲みまくっていた。

そこから、塩と牛乳を3回ほどたした。

 

ほんとうは遅く帰ってくる夫にすこし残しておこうとおもったけど

最終的に全部飲み干してしまった。

お腹がいっぱいになり、猛烈な眠さのなかたばこをふかしていると、

缶の裏面には“3人分”と書かれているのを見つけて、少し落ち込んだ。

3人分のスープに飽き足らず、私は3回牛乳と塩を足して飲んだのか。そうか。

あと、赤いマグカップの絵とともに、

これを買うと世界の恵まれない子に数十円寄付される旨が書かれていた。

若干の申し訳ない気分になりながら、9時過ぎには布団に入った。

寝てしまえばこっちのもんだから。

 

今日も残っていたパンを2、3個買って帰り、

例の小さいメロンパンを食べた後、無性に塩味のものが食べたくなった。

 

家にある材料でできるものはなにか、頭の中で家にある食材を思い出す。

貧乏人のパスタ!とひらめき検索した。

オイルパスタに、目玉焼きをのせたものを浮かべながら検索すると

パン粉をニンニクと唐辛子とオリーブオイルで煎って

パスタに絡ませるというパスタもある様子。何種類かあるのか貧乏人。

チーズはないので、パン粉を絡ませ目玉焼きをのせるフュージョン型の

貧乏人のパスタを作ることにきめた。

 

そう決めて湯を沸かして、冷蔵庫を開けると

こないだの湯豆腐の残りの春菊と椎茸としめじがほんの申し訳程度に残っていたので、合わないはずはないし野菜ゼロの罪悪感からも逃れられるので早速投入することに。

 

そういえば、目玉焼きをのせるパスタは、ちょっと前から夫と一緒に作って食べているが、目玉焼きを作るタイミングが難しい。

家のコンロは諸事情により二口コンロで、パスタをゆでる傍ら、パスタにあえるなにかの炒め物を作り、パスタが茹で上がる頃合いでいつもうまく行った試しのない乳化作業を行う。

そうこうしてるうちに、パスタは茹で上がり軽く湯切りをしてフライパンに入れてからめているときに味を整えて出来上がり。

温かいものは一番温かいときに食べたい。

乳化はうまく行ってなくてもせっかくアルデンテにゆでた麺が腑抜けになってしまう。

 

目玉焼きを焼くのを待ってられない。

 

 

なので今回は、半熟目玉焼きを作ってパン粉を炒め、野菜を炒め、

パスタに絡めることにした。

 

結果的に普通。まずくはないけどうまくもない。

パン粉が油分と水分を吸ってぼそぼそになってしまった。

私は貧乏人だけど貧乏人のパスタはうまく作れないけど、オイルとかたっぷりつかって葉ものと肉か魚を入れたパスタならちょっと上手に作れる。(中華もイタリアンも油をケチってはだめだと何かで見て以来ちょっとうまくなった。)

 

そうしてこういう誰が見ても面白くなさそうな一人飯について書いていたらメロンパンが食べたくなった。

 

 

 

 

180222

猫の日だな〜っておもいながらレジ打ってた。

 

一年前のいまごろは、仕事もう少しで辞められるなって、

春からはゆっくり田舎暮らしができるなっていうのを糧に

毎日アホみたいに混む電車に乗って東京駅に降りて

自分以外の人がきらきらしているように感じながら

アホみたいに残業してたな。

 

何がしたかったんだっけ?って思うことが多い。

 

夢とかやりたいこととかない。

 

目標もないし、ただ楽に生きたい。

 

そして今、

周りに夢とかやりたいこととか将来のビジョンとか、

目の前のビジネスに一生懸命とかそういう人がおおい場所に来てしまって

とても疎外感があるし、ここにきてどんどん卑屈になっていくのがわかる

 

楽しいことはあるしおいしいものも食べたいし

もう少し若かったときと違ってすぐ病んで鬱っぽくなることもなくなったけど

未だになんか上手に生活できない

 

10年以上入っていた椎名林檎のファンクラブを退会した。

毎年悩みながらもせっかくここまで続けたし…と更新期限ギリギリに

更新料を払ってきたけど

今年は、あっと思ったら更新期限が切れて退会となっていた。

 

未だに大好きだし、最近でたアルバムも繰り返しきいてるし

やっぱり更新すればよかったかな。

手放すととたんに惜しくなるな。

今年更新すると干支一巡のくす玉もらえたのか〜とか

検索して悲しくなったり…

 

まあ終わったことはしょうがないか。

いままでありがとう。

これからも好きです。

 

なんか10年以上続けていたこと

お金払っただけでなんの継続努力もいらないものだけど

それが無くなってぽっかり寂しい気持ち。